「借金玉、えらてん、わかり手の『バズる』ライティング講座」聴講

「借金玉、えらてん、わかり手の『バズる』ライティング講座」(2018年8月12日 於:株式会社CAMPFIRE)というトークイベントを聴講し、共感するとともに大変勉強になったので主題別に自分の感想を述べたい。総花的には述べないので、そういうものをお求めの方は別のちゃんとしたところをのぞいていただきたい。

(また、間違いのご指摘があれば訂正し、書きすぎた部分は削除に応じます。)

ただ、私がブログを本格的に始めようと思うなど、かれこれ20年ぶりであろうか。「オレにも言わせろ!」と思わせるだけの熱はいただいたのである。

推敲について

実は、今回登壇のお三方について私は深く知らないまま、「ライティング講座」という言葉につられて申込ボタンを押した。

話を聞いてみると、僕の創作欲を著しく削いでいた

「読者側の事情をどうしても想像できない」

「よって戦略を立てられないし、適切な表現を使えているか不安だ」

「だいたい、他者意識というのが希薄で、ひとりよがりな内容や表現に陥ってしまっていることは必定」

「それに気づいてしまったからには、すさまじい『書きたい』という意欲、周到な準備と徹底的な推敲がなければ文章を世に出せない」

という意識を、この方々の発言が吹き飛ばしてしまったのである。

小山晃弘(わかり手)さんは「衝動のままに書く」と何度となくおっしゃっていてそのたびに別のおふたりからつっこまれていた。同氏は幕間(まくあい)で、ご自分のツイッターのフォロワーが1万人いるということは、自分のツイートが1万人に読まれているということなのだという事実に突如として思い当たり、「そりゃいかんわ」と自らの過去の発言におののいてらっしゃった。

金玉さんからは「ネットの文章に推敲は要らない。息を吐くかのように書ける文章を」「推敲するくらいなら、もう一本書いた方がいい」とおっしゃっていた。

小山さんご自身がメディアを運営されてらっしゃるのにご自身については上記の認識。質問コーナーでは、書くときにどうしても思ってしまう「他者がどう思うだろうか?」「戦略は?」という内語について、借金玉さんがのこりの二人へ尋ねても、「衝動のままに」とか「何も考えてない」みたいなことばしか出てこなかったので頭をかかえてらした。

このやりとりで勇気をもらったのである。ああ、オレは書いていいんだと。

原稿の長さなど定石について

「衝動のままに」などと言うと、他者に配慮のないひとりよがりだとも思えるが、逆から見ると「パッションがある」ということでもある。

えらいてんちょうさんはご自分のブログを熱情のままに始めて、1か月で45投稿されたが、今は更新されてないという。ただ、それが実はよかったんだと借金玉さんは解説する。ブロガーの実績は最大瞬間風速(そして、文章も初速だとおっしゃる)。自分の人生で起こったこと、思い入れのあるものなど、書き続ければ必ずネタ切れは起こる。5か月もたない。であるなら、前のバズの余韻があるうちに連打する(ただし、はてなブックマークに5つも載っかっているとウザい)。定石では計画的に1年もたせるほどのネタを数ヶ月で打ちつくし、PVの最高点を一度登り尽くしたのがえらいてんちょうさんの勝因だったのだと借金玉さんは分析するわけだ。

定石の逆張りは他にもある。原稿の分量について質問され、1万字近くても読んでくれる、2000字読む人は4000字読み、4000字読む人は8000字も読むのだと借金玉さんは話す。また、写真や絵を入れること、投稿時間をよく読まれる時間に合わせるなどの策もよく言われるが、それもやっていない。定石というのは確かにそれが有効だったときや場合もあるのだろうが、言語化されるほどに一般化した後ではダサさが発生するものであり、自分は逆張りでやってきたと。

これを聞いたとき、同様に長文になりがちでビジュアルに弱い私は励まされたし、実は時の流れだけでなく、「層」なのではないかと思った。長文を書かせるパッションが、ある程度の数必ずいるところの、同種のパッションを求める人々に受け止められるのだと。

その意味で、小山さんの運営する「メンヘラ.jp」は画期的で、自分のつらい経験を投稿し、読まれることで書いた人は癒やされ、それを求めて読みに来る人は共感し、励まされる。考えなければならない課題ももちろんあるが、そこではガチのキャッチボールが人を救っている場面が多く発生し、交流の場が生まれているのである。「わざわざ文章にする&文章を読む熱」というのは、自分だって中心に置きたいところである。

業界におけるディレクター的役割の不在、不足について

ところで。

常日頃思っているのは、ライター志望はなぜ、自由もなく、儲かりもせず、不安定なライターという職業に就きたいのか、という疑問なのだが、私自身は「自分にはこれしか売るものがないから」という悲壮な答えに行き着いた。

会でも、この問いを思い出させる議論があった。

会の議論の基礎となったのは、マニュアルなどをわかりやすく書ける「技術ライター」と、キャラクターによる書き方や切り口で売る「キャラクターライター」がいて、という話。キャラクターライターの方が売れるし、こういう有名どころがいるが(ここが一番笑えた)、一般の「数奇な人生」を歩まない人がなりたくてもなかなかなれるものでもなし(疑似体験やそう仕向ける「取材」は可能)、なによりキャラクターだけで売り続けるわけにはいかない。

ライター、特にキャラクターライターの限界は、ライターが肉体労働であるということであり、それゆえに「自分はひとりしかいない」という意味の肉体の限界にもつきあたることになる。

実力のあるキャラクターライターが、身体はひとつしかないので、ゴーストの前で話して、それを原稿化するという「組織化」はそれを越える手段となり得る(あと、ゴースト仕事は受けた方がいい、コピー元の技などの勉強になるという話もあった)。

今、メディアが儲かるのではないかと、上場一部の会社もこぞってメディア運営に乗り出しているが、書ける人材がなかなかいない。PVの実績など、安定して1000たたき出せれば立派な業績だという。

(推敲しなくていい、という借金玉さんの発言を先にご紹介したが、その直後、少し表情を曇らせて「ただし、夏目漱石を薦めたくなるようなレベルの人はいる」と付言された)

そこから、ライターのマッチングをするディレクター的役割が不在であり、育てていく必要がある、という話になった。

ライター志望者は公募すると無限に来るが、選別するだけで大変、ツイッター頼りに探した書ける人リストだけでも大変な価値になるという状況。書ける人を5人も抱えれば家が建つのではないかという発言も飛び出すほどだが、PVを保証できる施策とか質とかの担保、メディアの色まで見極めたライターの割り当て、クライアントとの交渉、記事の型を決める、などといったことまでできるところはどれだけあるものか、という話になった。

最近転職し、上記のことは痛いほどわかるように思った。オウンドメディアを作っているが、タイトなスケジュールのため、過去記事はウェルク化し、記事化できていない積み残した取材も多数。応募しても未経験者しかこない。こんな状況では欠陥商品を産みだすことしかできない。そう質問シートを出したところ、会場からは大変ウケが取れ、借金玉さんから「もう少し、経営側と労働者側を融合させずに(誰もがやる。諸星大二郎か!)会社とオレは別だからと笑って見ていてはいかがでしょうか?」とご提言いただいた。なるほど、そういう考え方もあるかと膝を打ちもしたが、やはり、自分の産みだした欠陥商品で人に笑われるならいい方で、人に迷惑までかけてしまったらと思うと体調が悪くなるのである。しばらく、この自問自答は続きそうだ。

ともあれ、楽しい時間と非常に参考になる知見をいただきました。講師のお三方と運営の皆様に感謝申し上げます。